努力と才能の関係 努力では天才に勝てないのか?

MMDにて3DCGによる多彩な動画が作れる事に魅入られ、「カイト伝」をはじめとするMMDアニメーションを制作中。
その他、ゲーム実況などにも手を出す。

この記事は2017年6月28日に書かれたものです。
現在は内容が古い可能性もありますのでご注意ください。

「どんなに努力しても天才には勝てない」とか、「努力すれば天才を超えられる」とか、努力才能は対立関係のようだったりします。
そしてできれば努力才能に勝ってほしいと思いたいものです。そうでなければ努力のしがいがないというかちょっと寂しいですよね。

才能とは生まれ持って与えられた力

才能とはおそらく最初から手にしているものであり、与えられているものなのでしょう。そしてあまり変化しないものです。
分かり易いのは、顔がカッコいい人、要するにイケメンですね。これもある種の才能でしょう。身長が高いというのもそうかもしれません。

悲しいですが、努力しても顔が劇的にかっこよくなることは無いです。成長してしまった後では、努力しても身長は伸びないでしょう。この辺りは努力でどうにかできる幅が狭いです。

ただし!

顔が良くても、背が高くても、モテるかどうかは別です。

もちろんその方が、モテやすいでしょう。しかし、顔がイマイチの人でも色々な要素を磨く事で、イケメンよりもモテるようになります。これが努力の幅でどうにかなる範囲だと私は考えます。

努力と才能を掛け合わせたものが能力

島田紳助は「才能と努力には0~5までの段階があり、それを掛け合わせたのが能力だ」と言っていました。

例えば、

Aさんの才能が3、Bさんの才能が2だとします。

Aさんは加えて2の努力をしました。
ということはAさんの能力は「才能3 × 努力2 = 6」ということになります。

では才能がAさんより劣るBさんがAさんに勝つためには、どうしたらいいでしょう?

答えはAさん以上の努力をすることです。
Bさんの能力は「才能2 × 努力4 = 8」というわけです。

ここでお気づきだと思いますが、才能5であるCさんがいるとします。そして努力も5していたらどうでしょう。
Cさんの能力は「才能5 × 努力5 = 25」ということになり、誰も敵うことができません。

ではこの場合どうしたらいいのでしょうか?

島田紳助の答えはこうです。

そういう奴とは戦うな

シンプルですね。
島田紳助は漫才をするダウンタウンを見て「自分では絶対に勝てない」と悟り、その足で漫才を辞めることを事務所に伝えたそうです。

才能ある人間が、努力までも最大限でおこなうと誰も太刀打ちできない、というわけです。確かにこの理論でいくなら納得ですね。悲しいことですけど。。。

訓練は才能を超えるかもしれない

ここで終わると非常に残念な感じになってしまいますが、朗報です。
古代ギリシアの哲学にはこんなのがあるそうです。

「才能」と「教育」と「訓練」があり、「教育」が「訓練」や「才能」を凌ぐことはないが、「訓練」は時として「才能」を超えることがあるかもしれない。

ここで言う「教育」とは人から与えられるものであり、「訓練」は自発的に学び、実際に自分が行動する、ということです。

これは明るい話ですね!島田紳助、ギリシア人、どちらが本当に正しいかは分かりませんが、私はギリシア人を信じたいですね!色んな意味で!

では、一体どのくらいの訓練、努力が必要なのか?

そこで一つの目安になるのが一万時間理論です。

一万時間訓練すればプロになれる?


一万時間理論とは、何事も一万時間かけれてやれば誰でもプロの領域に達するというものです。

例えば毎日絵を描くことを5時間訓練したとします。
すると年間で、1,825時間(5時間 × 365日)です。約5年半でプロ並になれるということです。

ただし、闇雲に絵を書けば良い、というものでもないでしょう。自分自身にあった「正しい訓練」「正しい努力」が必要なのだと思います。

野球の素振りで例えるなら、毎日500回したとしても何も考えていなければただの筋トレです。
一振り、一振り、正しいフォームを意識し、対戦相手を意識し、試合状況を意識し行った素振りは、同じ500回でも内容と質が変わってきます。

私が思うに「訓練」とは、常に意識しながら、自分で調べ、観察し、そして何度も何度もそれらを繰り返して繰り返して毎日欠かささず行うことだと思います。
それを最低でも一万時間やる、ということです。

天才とは努力や訓練を経て獲得する称号

人間誰にも「甘え」がありますからね、大好きな事でもなかなかそこまで時間をかけてできないものです。その追い込みをどこまで徹底的に出来るかでしょう。

いや、もしかしたら「追い込み」とか「徹底的」とかではなく、イチローが野球をするように、鳥山明が絵を描くように、その行為が当たり前だと思えるくらい普通の事で、それが楽しいと思えるほど、自然な努力なのかもしれないです。

私達が目にしている「天才」という言われる人達は、自分にあった「努力」と「訓練」を正しく真っ直ぐ絶え間なくおこなってきたその結果、「天才」という称号を獲得するに至ったのではないでしょうか。

十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という言葉がありますが、「完成された努力は天才と見分けがつかない」だと、私は考えています。