序文:人類の進歩と個人のリセット
「なぜ、過去の自分を見るとあんなにも愚かなのか?」 「そしてなぜ、科学や技術はこんなにも進歩しているのに、人間そのものは一向に進歩しないのか?」
その答えはシンプルで、残酷です。
「人間は、当事者にならないと気づかない生き物だから」です。
人の一生はせいぜい100年。100年経てば人類はリセットされます。科学や芸術は記録され、引き継がれて進化しますが、「生きる知恵」や「実感」はリセットされる。だから、多くの人は進化せず、同じサイクルを繰り返すのです。
「そんなわけねーだろw」のサイクル
わかりやすい例があります。
- 20代後半のおじさん「ゲームなんて20代後半で飽きるぞ」
↓
10代の若者「そんなわけねーだろw 一生やるわw」
↓
10年後「……ゲーム、なんか飽きてきたな(20代後半)」
- 夜勤明けのおじさん「夜勤はやめとけ、体壊すぞ」
↓
若者「そんなわけねーだろw 朝起き無くていいんだから最高じゃんw」
↓
夜勤開始後「……夜勤はやめとけ」
こんなのもよく見ます。
「40代になって分かったこと。欲は少しずつ減っていく、幸せの感度も鈍くなる。だから、やりたいことは早めにやったほうがいいぞ。若者よ」
35歳や40歳になって、「私、すごい真理に気づいちゃったかも!」「人生ってこういうことか!」と興奮する人がいますが、残念ながらそれは「発見」ではありません。ようやくこれまで多くの人が言っていたことに「追いついただけ」です。
織田信長の「人間五十年」の時代から、いやもっと前から言われ続けてきたことです。
「20代のうちに結婚しとけ」「40代になったら足腰に気をつけろ」。先人が残した言葉の意味に、あなたが若干遅れて気づいただけ。それを「真理に辿り着いた」と錯覚しているに過ぎません。
そして、その気付きを「若い人達にいわないと!」と思い、頑張って伝えても意味がありません。
なぜなら当事者にならないと本当の意味では気づけないから。あなたがそうだったように。
「私は老害にならない」という幻想
「私はあんな大人にならない」「老害になんて絶対にならない」
そう思うでしょうが、無理です。
考えてもみてください。 15歳の時、「大人ってバカだな」「自分はもう十分大人だ」と思っていませんでしたか? でも20歳を超えて振り返ると、15歳なんて子供でしたよね。
ということは、30代になれば「20代なんてまだまだガキだった」と思うし、40代になれば「30代なんて若造だった」と思うのです。
この「愚かさのループ」はずーっと続きます。
- 30代:「20代は若かったなー。あの時なら何でもできたのに。30代の私には無理だ」
- 40代:「いやいや、30代なんて全然若かったよ! 何でもできたって!でももう40だから無理だわ…」
- 50代:「今思うと40代は若かったぞ。あの時やっておけば…。でも50代は流石にもう老人だわ」
- 60代:「違った、50代なんてまだまだ若かった…」
本来なら、30代の時点で「40代の自分から見たら、今の俺はめちゃくちゃ若いはずだ! 何でもできるはずだ!」という発想に至るべきなんです。でも、なかなかそうはなりません。
気づいた頃には人生が終わります。「くぅー! やっと世の中の仕組みが分かったのに!」と悔やみながら死ぬのです。
そして、その教訓を若者に伝えようとします。 「そうじゃないんだ! 若いうちは分からないと思うけど、実はこうなんだ!」 すると若者は言います。
「そんなわけねーだろw はいはい老害w」
……ほら、完全にループしていますよね。
ずーっと昔から言われていることです。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ってやつです。でもずーっと自分の経験しか信じられません。いくら親切心で歴史を語っても、それは他人事、自分には当てはまらない。どうしてか?
それは、自分はこの世にたった一人の特別な存在だから、他人の経験による学びは自分には当てはまらないとでも思っているのでしょう。むしろ害であると。
AIへの嫌悪感に見る「老害化」の構造
この構造は、昨今の「生成AI」に対する反応にも見て取れます。(著作権の問題などは一旦置いておいて、構造の話として聞いてください)
かつて、新しい技術が出た時にこんな光景がありました。
- 「判子? w」
- 「まだFAX使ってるの? w」
- 「エクセルで計算したのに、なんで電卓で検算してるんですか? w」
- 「手書きのほうが心がこもってる? いつまで電話使ってるんですか、チャットでいいでしょw」
若者は、時代についていけない大人を「頭が硬い」「順応性が低い」とバカにしてきました。
でも今、AIが登場してどうなっていますか? 「AIなんて泥棒だ」「人間が描いたものが素晴らしいんだ」と毛嫌いしていませんか?その気持ちはわかります。
でも、これから法整備が進み、AIが社会に実装されていく中で、AIネイティブの世代が出てきます。
彼らは言うでしょう。
「なんでAI使わないの? w」「頭硬すぎだろw」
かつて私たちがFAXや判子を笑ったように、今度は私たちが笑われる番が来るのです。自分が中高年になって初めて、かつての中高年が抱いた「新技術への懐疑心」が理解できる。 これもまた、当事者にならないとわからないことの一つです。
「当事者」になって知る、健康と孤独のリアル
健康保険の話もそうです。若い頃は病気もしないから、保険料なんて無駄だと思っている。でも50歳になって自分や家族に癌を患う者が出てくる。手術して、再発防止のために薬を飲む。
その薬が、当たり前のように1錠2万円したりします。毎日飲んで、月60万、年間720万。
その時初めて気づくのです。
「こんなにかかるのか…保険がなかったら死んでいた。生かされているんだな。日本の保険制度すげー…」と。
3000万の点滴なんてのもあります。これも当事者になって、明細を見て、震えて初めて理解できる仕組みです。
友人関係もまたしかり。
高校時代、私の友人がこんなことを言っていました。
「父親が友達と遊んでいるところを見たことがない。ということは、大人になれば友達っていなくなるんだろうな」
私はその時「確かに」と思いました。自分の親もそうだったからです。 そして大人になり、その予言は現実になりました。
ただ、私はその言葉を覚えていたので、抗うことにしました。
専門学校時代の友人や、職場の友人に自分から声をかけ、月に一度はDiscordで話したりご飯に行ったりして、「努力して関係を維持」しています。
学生時代は「当たり前」だったことが、大人は「努力」しないと維持できません。 みんな「しんどい」「時間がない」と言う。急に連絡すれば「勧誘か?」「面倒ごとに巻き込まれるのでは?」と警戒される。そして「孤独だ」と嘆く。
「30代過ぎたら友達減るぞ」「孤独がきつくなるぞ」
これもまた、言われていたのに、その年齢なって気づく予言の一つです。
「その年齢でやるべきこと」と「後悔」の正体
当たり前の話ですが、人間には「その年齢でやるべきこと」があります。
幼少期なら遊ぶ、学生なら勉強と青春、20代なら仕事を覚える、30代なら身を固める…。
もちろん、あとから取り返すことも可能です。でも、「適齢期」を逃すと、何倍もの努力が必要になります。 働きながら大学の勉強をするのがどれだけ大変か。学生時代にやっておけばよかったと、血の涙を流して後悔することになります。
社会は「その年齢でそれをする」ようにデザインされています。
今、心の中で「本当はこれをやるべきだよな…」と思っていることがあるはずです。 めんどくさいから、他に楽しいことがあるからと後回しにしていること。
それを今やらないと、未来の自分にもっと大きなツケを回すことになります。
最後に、「全力で生きたほうがいい」という言葉の意味について。
それは、何かを手に入れるためではありません。
「もしあの時、全力でやっていたらどうなっていただろう?」という亡霊に憑かれないためです。
- 「あの時、告白していたら付き合えていたかも」
- 「あの時、本気で勉強していたらあの学校に入れたかも」
- 「あの時、筋トレを続けていたら…今頃理想のカラダになっていたのでは?」
この「ありえたかもしれない可能性」は、歳を取れば取るほど深い傷となって心を蝕みます。
結果がダメでもいいんです。「やるだけのことはやった」と思えれば、それは傷になりません。
悔いを残すと、40歳になっても、70歳になっても、ずっとその「可能性」に縛られ続けます。
ありふれた言葉ですが、「今日が一番若い日」です。
未来の自分が、今の自分を見て「愚か者め」と嘆くのではなく、「あの時よく気づいた! よく実行した!」と言えるように。
心の奥から聞こえる「本当はこれをすべきだよな」という声に、今すぐ従ってみませんか。
と締めくくるわけですが、これもやはり虚無です。当事者になるまでは真の意味では分からないからです。
また、「そんなこと知ってるしw」という方もいるでしょう。
でも「知っている」と「行う」「出来る」では雲泥の差です。「知ってる」だけなら「知らない」のと同じです。実行してこそ「知ってる」の意味が出てくるのです。
だって「知ってる」けど「やらない」のと、「知らない」が故に「できない」では、どちらも結果は同じだからです。
「知ってる」は実行してこそ、始めて意味が出る言葉です。
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